松島コミュニティ|であい ふれあい ささえあい

松島地区の歴史

「このところ東西の町なり。
人家商農軒をならべ賑し、阿波の海道なり、
旅舎あり、南北裏は菜大根をうえ、春秋野花ひらきてうるわし。
士大夫より以下、豪家の別荘あり。
東は八島(屋島)を望み、北は前島、備前(岡山県)の地を一眼に見わたし、二丁ばかり北に、八丁土手というところあり、
並松つづきて絶景いわんかたなし。
初夏より別して北風すずしく行きてあそぶべし。
伝えいわく、この地は奥州松島の景に、にたるによりて名付けたりとなむ。 」

「讃岐国名勝図会」松島より

松島地区は、北は瀬戸内の穏やかな海、東は屋島、南は遠く阿讃の山々を望む、美しい土地です。
玉藻城が築城された後、福岡、松島、木太、春日も開かれると、海と川の境に堤が築かれていきます。この堤に沿って決壊防止のために植樹した松が、沖から見ると松に覆われた島のように見えたため、東北地方の名勝・松島の景色に重ねあわせ、「松島」と呼ばれるようになったと伝えられています。

明治23年、市町村制が実施された際、旧東浜村と福岡下村が合併し「香川郡東浜村」が発足しました。
その後、大正10年に高松市への合併により、東浜村の大字福岡下が「福岡町」に、大字東浜の一部が「松島町」になりました。
さらに昭和38年には、福岡町と松島町の中間地に、「松」と「福」をあわせて付けた地名「松福町」ができました。

このページでは、平成28年に作成された「松島地区歴史ウォークのしおり」をもとに、松島地区の12の歴史史跡を紹介しています。

松島地区歴史ウォークのモデルコースを掲載しましたので、ご活用ください。